空に優る景色は地面にしかない

あらゆる文章をとりあえず載せておくブログ

会ったことのない人に恋をした

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 知らず知らずのうちに芽吹いて、花まで咲かせた名前のない植物に、私は密かに名前をつけた。その名前はここでは呼べない。

 高校のときに私は双極性障害を発症した。だから、私の物語はそこで断絶されていて、思い出を振り返ろうにも覚えていない空白の期間があるし、ライフストーリーとして、一つの生の在り方として語ることができない。断片的な記憶だけが湧いてくる。それ自体は誰にとっても経験があると思う。その断片を組み合わせることで私は私を形づくることにしている。

 私の記憶には人の姿がなかった。いつの時代でも友人も恋人も家族もいたけれど、柔らかな光や、桜の蕾や、公園の遊具の鮮やかな色味や、海面の静かな煌めき、そんな誰かにとってはどうでもいいようなことばかりが思い出される。夏を予兆する少し強い日差しに柔らかで暖かな風が心の風通しを良くしてくれた。春。

 会ったことのない人に恋をした。会ったことのない人なので、視覚的な情報のほとんどを想像で補っている。「動き方はこんな感じで、きっと歩くときはこういう感じで、人やものを見る時の眼差しはこう。笑うとこんな感じかな、ううん……」。確かにそれらはその人を構成するものだから、どうでもいいことではないけれど、私は彼の眼差しがあれば十分だった。それは誰かに奪われるものでもなく、しかし、存在していることが奇跡だった。ものを見る目。考える目。私と絶妙に違っていて、ごくたまに重なる目。心地良い彼との視差。

 彼とやりとりを始めてから時間の質が変わったのだと思う。途中までは規則的に流れていたはずなのに、話をするようになってから時間はその進み方をおかしくしていた。これは日だまりだと思った。今私たちはちょうど日だまりに居て、手足を伸ばしている状態だった。自分の中に流れる時間と時計は全く噛み合っていない。二人の間に流れている時間が拡張されていた。世間ではそれを短期間と呼ぶ。

 彼が私を好きかどうかなんて問題ではなかった。少なくとも片想いの時はそうだった。私は彼を愛する。愛情で満たす。それだけに務める。そんなことを思っていた。でも、それは場合によっては相手に失礼だと気づいた。彼の主体性を認めるのであれば、そして真に愛そうとするなら、相手の気持ちはどうでもいいわけなかった。私は途中まで「なんかこの人、人の読んでいる本をどんどん読むし、変わってるな」なんて思っていたし、「好き」と言ってくれるのは何か反応的なものにすぎないと思っていたし、メッセージに返信があるのもきっと義務感でやっているのだと思っていた。いや、そう思いたかったのだ。相手が冷めていた方が都合が良かった。利害関係のみで見てくれていた方が、上手くやれる気がしていた。

 そこまで相手を見くびっていたことに気がついて、めちゃくちゃ謝りたくなった。ごめんなさいのつもりで打ち明けてみた。大丈夫、安心してと言われた。

 「自分が彼の害になっているのではないか。私は彼に今より幸せになってもらいたい」という悩みを彼に相談した。ここでいう彼とは今まで出てきた彼ではなく、もう一人の彼であった。「彼にとっての幸せってなんだろうね。害になっていると相手が考えているのだとしたら、さすがに何らかのアクションがあると思う。その反応があるまではそういったことを考えるのは良くないかもしれない」と言われた。たしかに。

 

 「彼はNのことが好きなんだから」

 

 ……そうなの?そんなことってあるの?彼に言われてようやくそんな可能性を考え始めた。え、私好きって思ってもらえてるのかな。確認したくなった。でも、怖くてまっすぐに聞けなかった。いつも相談に乗ってくれる彼は本当に素敵だ。そもそも私が恋をすることに否定的でないのも不思議な話だ。否定され続けた過去を思い出してしまいそうになったけれど、今向き合うべき人は彼に違いない。

 さすがに彼のように素早く相手の読んでいる本を読んだり、映画を観たりはできないけれど、私も少しずつ真似てやってみようと思っている。趣味が合うか合わないかはわりとどうでも良くなってきた、というか違うことは前々から分かっていたので、その差を楽しめたらいい。ゆっくり築いていけたらいい。