空に優る景色は地面にしかない

あらゆる文章をとりあえず載せておくブログ

私以外の人と生き物と私

 ぐったりしている。人が少なくなった。まだ音の数は多い。やっと静かになったのにテレビをつけるなんてどういう神経してるんだろう、と母を見て思うけれど、多分「普通の人」はその程度のストレスはストレスとも見做していないのだろう。素直に良いなと羨む。

 

 自分にしか興味のなさそうな人が女の子と食事してますアピールをツイッターでしていて、げんなりする。素直に嬉しい!とかそういう表現だったらまだ微笑ましいけれど、なんだかいつも少しいやらしい。まあいつものことだ。驚くほど変わらないな。

 

 後片付けを手伝いたい気持ちを抱いたまま、何もせずに佇んでいる。体力なくてごめんなさい。なんて弱いのでしょう。実は昼過ぎに行った買い物の時点でかなり参っていた。田舎に来ると、虫がとにかくたくさんいて、ハエタタキで叩くこともある。妙に動きの鈍い虫が時たまいるが、おそらく叩き損じた虫だろう。弱々しさに自分を重ねてしまうので、弱った虫を叩き殺すことに抵抗があるのだった。

 昨日、弱ったネズミがのろのろと廊下に出てきたので、悲鳴をあげながらすぐに誰かがハエタタキでバチン!と勢いよく叩いた。ネズミは一瞬でびくともしなくなり、いつの間にか玄関先のアスファルトの上に放られていた。直射日光の当たる35度かそれ以上になっているアスファルトの上で眠るように死んでいるネズミ。そのネズミのいる辺りだけ涼しく、静かに時間が流れているのを私は確かめるように眺めていた。子どもの中には「可哀想」と言っている子もいて、大人は口を揃えて「気持ち悪い」「よそわしい」と言うんだなあ、など、そんなこともついでに今思い出した。素朴な感性は子どもの方が鋭いのだ。私はどちらにも共感できるかもしれないけど、「可哀想」な気持ちが勝っている気がする。

 

 とりとめのなさがものすごいけど、書くのをやめる。疲れを癒したい。叶わない。