空に優る景色は地面にしかない

あらゆる文章をとりあえず載せておくブログ

私のいろいろ音楽遍歴

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 久しぶりにブログを書こうと思った。人の音楽遍歴を聞いているうちに、自分も整理したくなった。覚えていないところもあるけれど、書いてみる。

 とりあえず演奏として音楽に初めて触れたのは4歳のときで、私はヤマハ音楽教室に通っていたらしい。ピアノを習っていた。エレクトーンをやった記憶もうっすらある。後に分かるけど、その影響で絶対音楽があった。(普通消失することはないと思うんだけど、その後難聴にかかったことで、なぜか狂ってしまったので今は相対音感だけある)ドライヤーの音はB♭だ~とか、シーソーシーソーシーソー!と救急車の音を音名で言ってたみたいだし、生活音さえ音楽だった。話が脱線したけれど、最初に触れたのは主にヤマハの音楽ということになる。

 その後引っ越しなどのきっかけで個人レッスンを受ける。元々ヤマハの先生だった人に教わる。ハノンではなかったけれど指の練習曲(名前は忘れた)とブルグミュラーソナチネツェルニーギロックを経て、聴いたことのあるクラシックの曲を高校3年辺りまで弾いていた。完全に趣味としての音楽。その中で上達に苦しんで演奏で食べていくのは厳しいなと思うようになっていた。いわゆるコンクールに出るとかそういった経験はなかった。比較的楽しく音楽とは付き合っていた。ただ、発表会なるものはヤマハ時代からあったので、うろ覚えだけど大きなステージで弾いて、最後に記念撮影するときに疲れて号泣した記憶がある。小学生以降も発表の時に失敗して一旦弾きやめて、再度弾けるところから弾くみたいなことをした記憶もある。
 高校生になって、ポピュラー音楽も少しやった。そして、ピアノ以外にもオカリナも習った。オカリナは、当時のピアノの先生が吹いていたので同じ先生から教わった。オカリナはおそらく5年くらい習っていた。ピアノは計算すると大体15年ほどになる。
 楽典的なことはヤマハ時代から少しだけやっていたけど、真面目に習っていたのは高校生になってからだった。正直もっと早くやった方が良かったなと思う。その方が曲の理解が深まるからだ。演奏関係はざっとこんな感じ。
 作曲自体は習ったことはないし、どちらかというとアレンジが多い。小学生時代に伴奏のないメロディだけの曲に伴奏をつけたり、リコーダーで吹きたいジブリの曲を聴いて楽譜にして、テストのときに吹いたりしていた。(耳コピ絶対音感があると比較的容易っぽい)MIDIシーケンサー自体は中学の時くらいから触れていた記憶がある。そこまで得意ではなかったし、今でもDTMは苦手。

 

↓ リコーダーのテストで吹いた思い出の曲。


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 そういえば高校の時に一曲作ったことがあって、当時の高校の音楽の先生とすごく揉めた記憶がある。弱起だったからだ。クラシックの基本を押さえた曲をまずは作りましょうという話だったので、弱起を持ってきたのは良くなかったんだと思う。その当時思い浮かんだ曲が弱起しかなかったので、喧嘩したまま提出した。不可にならなくてよかった。
 そして、音響の学べる専門学校に行きたかったのだけど、両親に反対されたので渋々大学を受験した。いわゆるクラシック音楽を学ぶところは考えていなかったので、(どう考えても準備が間に合わない)それ以外の領域が学べるところを探した。しかし、第一志望を受験することはなかった。自分を追い詰めすぎて精神を病んでしまったのだ。

 結局、私立の音楽科に進んだ。楽理的なこと以外にも実験的な音楽に触れたり、実験音楽を自分で作ったり、ガムランを演奏したり、尺八に触れたり、はたまたフィールドレコーディングのようなサウンドスケープ的なことをやったり、レコーディングを学んだり、自分の想像していた以上の世界に触れた。中でも音楽美学(音楽学、音楽哲学)に興味が湧いたので、卒業後もその辺りの本をずっと読み漁っている。

 自分でやる音楽はそんな感じ。次はどんな音楽を聴いてきたか書いてみる。


 幼少期~小学生辺りまではヤマハ音楽だったので割愛。小学校高学年のとき、周囲の友達が流行りのJ-POPを聴いていたけど、全然馴染めなかった。ただジブリの音楽は聴いていたし、名探偵コナンのテーマソング集を聴く中で一組だけ聴ける音楽があった。いや、音楽自体は他のアーティストも聴けたのだけど、歌詞が意味不明に見えて好きじゃなかった。その一組だけ聴けるコナンの音楽は、GARNET CROWだった。曲を聴かなくても歌詞の意味が理解できた。それだけでその音楽は自分にとって価値があった。

 


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「君と僕とは別の生き物だから 好みが違う歩く速さも思いの伝え方も」

この始めのフレーズを見て小学生だった私は「ちゃんと意味が分かるし、良い!」と感動した。今見ると何気ない歌詞かもしれないけれど、意味不明に思えるJ-POPの歌詞の中では当時は衝撃だった。

 そうして、彼女らのことをもっと知るためにメンバーの好きなアーティストを全て聴いた。そこでまた衝撃が走る。Bjorkとの出会いだった。中1の時だったと思う。

↓ Bjorkの中で初めて聴いて、今でも一番好きなアルバム。


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 「音楽ってこんなに自由でいいんだな」と思った。掴みづらいメロディだけど、ちゃんと色彩感があって、リズムが生き生きと感じられて、音使いが面白くて最高だった。

 Bjork関連で北欧系のポップスといわれるようなアーティストも聴いた。高校でポストロックやエレクトロニカにハマるきっかけはこの辺りの影響。

 中学時代はとにかく洋楽とBeing(現B ZONE)関係の音楽を聴いていた。書き出そうと思ったけれど、50以上はあるのでやめておく。流行りの歌はもちろん、60年代から90年代の洋楽も満遍なく聴いていた。クラシックも好きで、ピアノ曲を中心に聴いていた気がする。

 高校・大学時代はポストロック、エレクトロニカ、ノイズ、アンビエント、ミニマル、民族音楽など少し変わった音楽をメインに聴いていた。ジャズ、アニソン、ゲーム音楽もこの時期に良く聴いた。それらの音楽の中でもmumが好きだった。
 しかし、大学生になり、音楽を学ぶことができるようになってから音楽が嫌いになっていた。正確にはメロディーの主張の強い音楽が受け付けなくなった。もっと正しくいうと、音楽の暴力的な側面が受け入れられなかった。どんなにこちらが拒否をしていても、聴くと否応なく心を動かされてしまうその強引さ、何も思いたくなくても頭に残って繰り返される音楽の暴力性、そういった側面が嫌になった。


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 そんな中で聴けたのが先ほどあげた少し変わった音楽たちだったのだ。そして徐々に私は日常で音楽を聴かなくなっていった。それに、静寂は私にとっては一つの大事な音楽だったから、ある意味静寂を聴く時間が増えたともいえる。サウンドスケープを学んだことなども若干影響しているように思う。
 「静寂を聴く」人は実は結構いて、大学の講師や教授でも「最近聴いてる音楽ですか、最近は静寂を聴いてますね」などと返答しているのを何度か見かけて、正直ちょっと嬉しかったし、普段音楽に触れている人たちだからこそ、その返答は良いと思った。
 話はそれるが、無と静寂には大きな隔たりがあると思う。何も聴いていないのでなく、わずかな残響音を聴いている。すべてを拒絶するわけでなく、意図的に何か音を鳴らすのでなく、静寂を聴くとは、今ここにある自然の音を受容する行為だ。

 大学を卒業後、病気の関係もあり、たくさんの音楽は聴けなくなってしまった。最近聴こうと思える音楽はクラシックのピアノ曲だった。本当にごく一部の音楽。卒業した後にクラシックの良さというか、馴染みやすさに気が付いた。というのも、クラシックは私の中で弾くものであり、聴くものではなかったのだが、幼い頃から慣れ親しんでいたこともあって、聴きやすく疲れにくいことに気づいた。ただやっぱり常に聴くわけではなく、調子が良いときに聴くだけ。生真面目にベートーベンを聴くときの態度で一時期は聴いていたけれど、聴取の態度としてはべつに不真面目でもいいじゃんと最近は思う。なぜなら、生真面目に聴くのはクラシックの一部での慣習みたいなものの影響だったからで、それに縛られる必要は全くないと気づいたから(ただそういう聴き方もあるので、聴き方の一つとして保持はしている)。

 今後音楽関係でやりたいこととしては、趣味としてGARNET CROWの全曲をオルゴール化する計画があるのと、作曲はクラシック系に的を絞ってやることの大きく2つがある。演奏関係も何かやりたい気もしているし、遊びでもっとDTMっぽいこともしたいとは思ってるけど、環境が厳しいので当面無理かなと思っている。作曲に関してはしばらくは一人で勉強することにしている。和声の復習からやってみてるけど、結構忘れてるし、実践的な場面であまり生かしたことがないので生かしていきたい。時間はあまりなくても、下手でも投げ出さずに地道にやっていく。

欲しいものは日常に紛れているし、知りたいことは既知に埋もれている

 作品の巧拙について(巧拙は技術的な面でしか言えないと私は思う)分からないのは、下手なことを馬鹿にする人の態度だろう。どんなに懸命にやっても下手だと笑われて終わってしまうのはあまりにもひどいし、それは人が何かを生産する上で大きな足枷となっている。

 窘められて気力を削がれてしまう。先の話とは別の事情だけれど、気力をなくさせる点においてさほど違いはなかった。人に甘く見られていた。憤るほどの相手への期待も持てない。

 

 爪を整えてジェルネイルを施すだけで気分は晴れやかになる。そんな些細なことで人は変われるんだった。そんな些細なことの積み重ねが今を、私を形作っていた。

 

 同意できる投稿を見て、その話に対する反響のなさに驚く一方で、ないことの方が自然に感じてしまう。なぜなら、書かれてあることはきっと多くの人にとって既知であったからだ。重要なことはすでに世に出ていることが多い。未知の、鮮烈なものを人は好むかもしれないけれど、よくよく考えてみればその鮮烈さは大したことがなかったり、逆に自分にとって既知であったはずの事象の未知性に触れて、いつまでも記憶にこびりついていたりすることがある。投稿の内容は一見すると既知であったけれど、よくよく読んでみれば書き手と同様に気づきを得られるものだった。

 

 私たちの欲しいものは日常に紛れているし、知りたいことは既知に埋もれているのかもしれない。その予感はずっと前からあったけれど、最近確信に近づきつつある。

 

 誤りや拙さを跳ね除ける強いメンタルなんて正直私にはない。でも、勇気を出して誤ってみる、拙さを受け入れてみることでしか次にいけないのなら、つらいけれど、じっと耐えるしかない。笑われてもいいとは思ってないけれど、笑われるしかないのなら笑われておく。愚かだと思われるなら思われておく。そういった他者を置いて私は行く。窘められて、それならやめておこうと従順すぎる幼かった私とハグして、手を振る。決別。

 暗闇ではない、仄かな灯火が自分の中にも傍にもある。十分すぎる環境。

老いは死よりも差し迫った恐怖を覚えさせる

 雨の降った記憶がないまま梅雨が明けてしまった。紫陽花に思いを馳せる暇もなく、温い風が容赦なく網戸にした窓から入ってくる。熱や日差しを遮断するために窓を閉め、カーテンを閉じても熱が侵入してくる。頼りない布はいとも簡単に熱の侵入を許してしまう。

 私の心はいつも開かれているようで、時折閉じていることもあると気づく。人見知りをする時期の子どものまま年月を重ねたみたいに、初めての人に遭遇すると、物陰に隠れてそっと様子を窺っている。ネットの空間でもそれはそうで、情報が全くない状態で誰かに遭遇するとじっと黙って聞き耳を立てている。優しく声をかけられればすぐに心を許す。意地悪されれば意地悪する。私は単なる鏡だった。でもきっと、誰にとっても他者は鏡なんだろう。

 水の珠を手に入れた私は眺めたり、触ったりして遊んでいた。喜びをいっぱいにしてその水の珠を可愛がった。水物だから掴めないけれど、自分なりに遊び方を編み出して、変化し続けるそれをただ目で追いかけていた。追いかけ続けて満足して、ガラスの器に入ったそれを机の隅に置いて休ませた。水の珠とは良い距離感だと思う。

 怖いのは、何もかもが変わり続けることだと誰かが言っていた。でも、私は誰かが私のせいで成長をやめたり、夢を諦めてしまったりすることの方がもっと怖い。言葉や物理的に攻撃されるよりもずっとずっと怖いのだ。自分みたいに考えを更新し続けて、生き方を更新し続けてほしいなんて押し付けがましく思っていたことに自分自身で驚いてしまった。寛容であることは、人の停滞を受容することなのだろうか。自己増幅欲を失った人がどんどん縮小していくさまを私は黙って見守ることができるのだろうか。死にリアリティを抱けない私には、老いは死よりも差し迫った恐怖を覚えさせる。

 歩みを止めてしまったある人が、何年も前と同じ考えを壊れたテープレコーダーのようにSNSで呟き続けているのを時々見に行く。おそらく亡くなってしまった人の更新されないページを眺めているよりもなぜかリアリティがあって、見かける度に痛みを伴う恐ろしさがある。自分がいつかそうなる可能性もあるから、他人事として受け取ることはできない。見てはいけないものを覗き見るように、よくない行為だと思いつつやめられずにいる。

 心を閉ざすと人はある意味で停止するのだと最近思う。幼さとは違った、停止している印象を話の端々から感じ取ってしまう。そういうときに私はその人個人ではなく、社会を見ているような感覚になる。もちろん個人的な問題は大いにあるのだけれど、心を閉ざしている人は一人ではなくたくさんいる。心を閉ざしている人の独りよがりな、しかし切実な叫び声が聞こえてくる。私にはどうすることもできない、無力だと思ってしまうから本当は耳を塞ぎたいけれど、そんなことをしてしまったら自分まで停止してしまう。ああそうか、自分の中にも停止している部分があるんだきっと。だから心を閉ざしている人を見捨てることができない。でもどうすればいいのだろう。無理にこじ開けようとして失敗したことがたくさんある。私も逆の立場だったら、返って引き籠もってしまうようなひどいやり方だったと反省している。

 熱気に押されて、何もかもがどうでもいいように、怠惰に流れていきそうで良くないから、エアコンをつけて何かを生産しようと思い立って、最近考えていることを書き出してみた。私がいつも他人のことを考えているのはお人好しだからではない。他者は鏡だ。ゆえに自分のことを考えているのとそう変わらない。双極性障害になって唯一といっていいほど良かったことは、自分と向き合う時間をたっぷりとれた点だろう。そんな私ができることとは何だろうと最近よく考える。心の底から良いと思えることをしたい。芸術もそう。奇を衒うのでなく、王道だからやってみるのでもなく、自分が本当に良いと思った方向性で表現すべきなんだ、と最近思う。時間はそんなにない。でも形にしたい。きっと形にしてみせる。

愛の気配

 愛という言葉が氾濫していて、「愛」を見聞きしない日はない。貴方も私も愛については考えていて、それでも実態は分からずじまい。確信をもって言う者が現れれば胡散臭さを伴って宗教じみてくるし、論理を突き詰めれば哲学として成り立つものの、実感とはまた別の乖離した何かであるという感触になる。私達は愛の気配を感じながら、欲望に身を投じてはこの気持ちはなんだろうと夜の空に漂って、星々に口づけを交わしている。たとえ人を想う気持ちが肌に触れたいという欲望によるものであったとしても、そのすべてを欲望として片付けるには、人の心をあまりに見縊っている。どんなに冷酷な見方をしても、欲望の中に愛の存在を認めざるを得ない。

 ずっと愛の定義なんてどうでもいいと思っていたし、私は愛について考えてこなかった人間で、今でも定義なんてどうでもいいとは思っているかもしれないけれど、人を愛したい気持ちは昔から偽りなく存在していたように思う。ただ愛し愛されたいというありふれた願望を認めたくなかった時期があった。氾濫する言葉の愛にうんざりしていた私は、J-POPの恋愛的な歌詞は大嫌いだったし、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』のように真っ向から愛について語っている本なんて手に取りたくなかった。愛にまつわる直接的な表現の歌や書籍を軽蔑し、排除してきた。でも気づいていた、いつかは向き合わなければならないのだと。25歳くらいになった時、幼い子どものように愛されることばかりを求める時期はとうに過ぎ去っていたし、私は人を愛したいと自分が願っていたことにようやく気づき始めた。
 今でも実のところ「愛したい」かといえば、ちょっと違うのかもしれなくて、ただ人を好きでいたいという感覚に近い。いつか魂同士で抱き合えるように、精神的な繋がりを求めて人と関係する。そうでなければ人と関わる動機も見えなくなる。
 ある程度の深さで、一般化していえば恋愛として人を好きになってしまうと、もっと触れたい、声を聴きたいなどという欲望がつきまとうのが苦しくて、本当に相手のことを好きなのか不安に思うことがある。あるいは、心の余裕がなくなってくると、どんな欲望や願望も起こらなくなり、同時にその人を好きだと思う感情でさえ希薄になってしまうのが怖い。毎月その現象は発生するから、その度に私は強い不安感に襲われる。自分は自分以外の誰のことも愛せないのではないか、とややナルシシスティックな感傷に浸ることもある。
 好きな人にはなるべく自分らしさを保ったまま生きてほしいと願う。それを愛と呼ぶかは分からないけれど、好きな人の意思を尊重したい。

 自分が特別な存在であると感じていた若いとき、世に溢れる愛という言葉が嫌いだったのは、安易に愛という言葉を使うようでは、真の愛に気づくことができないと考えていたからだった。人々が易易と指し示す愛なんて、紛い物でしかないと思っていた。でもそれは違った。というより、愛なんて多義的な語に明快な解を求める姿勢がそもそも違うのかもしれないと考えた。愛とはなにかという問いに向かうことは決して無駄ではないけれど、大事なのは、愛とはなにか模索しながら他者を実践的に愛することだった。それが欲望によるものであれ、自己満足によるものであれ、真剣に愛したい気持ちで人と関係することは、良い悪いといった価値観を超えて私達を豊かにする。私達の抱く感情は、通常は純度の高いものではないのだから、愛情を示す行為のなかに不純物があったとしても問題ではないのかもしれない。私は自分の感情を分析し、解体したがる癖があるけれど、自分が全知全能の存在でもなければ、特別な存在でもないことを受け入れた上で、不完全な存在として愛を志向し、相手にとって悪影響を与える可能性もあると覚悟しつつ、それでも与えていかなければならない。

 愛という概念は私の手から、貴方の手から、人々の手からすり抜けていくけれど、人と人が関係することをやめない限り、その気配をそこらじゅうに漂わせている。絶望とは、愛の気配を感じ取ることができなくなった不感症的な状態に陥ることなのかもしれない。愛がこの世にないと言いきれないことで、苦痛を覚える人もいると思うけれど、解釈によって希望にもなりうることを私はその人にそっと伝えるのだと思う。私のように一時的に愛や愛という言葉を毛嫌いする人もきっと少なくないけれど、いつか時が来て対峙することがあるかもしれない。人と関わることで変化するかもしれない。

 私の周りには人を好きになりたいと願っている人がいる。人を好きになれないのではないかと不安に思う人がいる。相手の意図している意味を掴みきれないから、迂闊な助言はできないし、導くなんて烏滸がましいと思っているけれど、人について何か思っている時点で彼、彼女らには人を好きになれる可能性がある。人は生きている限り発展していくし、心が豊かになっていくのだと信じている。

 幸福に愛は不可欠なんだろう。自分を愛し、人を愛すること。愛するとはどういうことなのか模索し続けること。愛情の表現を実践し、反省すること。今見えている人や物に集中すること。すぐにできなくても諦めないこと。

 そんなことをふわふわと最近考えていた。ここ数週間、友達と愛や人を好きになることについて語り合っていたし、フロムの『愛するということ』も読んだし、恋人に会って愛情を感じたから、このタイミングで何か書かなければならない気がしていた。いまだに安易に「愛」という言葉を使うことには抵抗があり、雑に扱う人に対してやや嫌悪感もあるけれど、昔よりも身体に馴染んできた。愛なんて甘い夢だと思っていたこともあるけれど、幻想を抱くことそれ自体を悪く思わなくなった。

 私は好きな人々とともに生きたい。貴方や貴女が生きていることを感じ取れるだけで、存分に幸せな気持ちになるし、この幸福感を分かち合いたい。
 大それたことなんて言えないし、言うつもりもない。ただ日常にある穏やかなひとときや場を幸福と呼び、愛おしく感じる心に愛があると信じたいだけだ。

 夢のような日々を過ごしている

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  夢のような日々を過ごしている。理想形としての日常生活を送っている感触がある。会いたい人に会って、したいことやしなければならないことをして少しずつ経験を重ねていく。

 とあるデザイン画を見て何か触発されたような心地がした。自分の特徴を思い出した。色彩感覚はもとより優れている自覚があったけれど、私は線への意識は希薄な傾向にあり、それは平面であれ、立体であれ同じで、私の目にはほとんど色しか見えていなかった。音楽もそれと同様に、私は音色に対する感度はかなり高い気がしているのだけれど、律動、リズムに対する感度が極端に低く、音楽を含めあらゆることに影響を及ぼしているようだった。ピアノを弾くために譜読みをしているときも音程はすぐに分かってもリズムの把握は時間を要した。初見演奏は本当に苦手だった。また、4リズムであれば、旋律やコードの把握はできたけれど、ドラムは何度聴いても捉えきれることがなかったし、自分でドラム譜を書こうとすれば、単調になってしまうか、ぎこちない動きになってしまった。そのような苦手意識をすればするほど、絵や音楽は要素ごとに解体され、総体として捉えることのできないものへと変わり果ててしまうのだった。ところが、色彩や音色に集中すればその他の要素にも心が開かれていき、全体を通して何か感じとることもできた。優先度は低いけれど、線やリズムを捉えることだって可能になる。

 苦手克服が本当は全ての足枷になっている気がしてならない。小中学生の頃、私は短距離走が得意なタイプで、長距離走はそこまで成績がよくなかったので、長距離走の成績をあげたくてほぼ毎日長距離を走っていたことがあったけれど、成績は全く変動しなかった。そして短距離走の記録も伸び悩んでしまった。

 同様のことを別の時期にも試みたことがある。人と話すことに苦手意識があった私は、初めてのアルバイトとして接客業を選んだ。またもや苦手を克服したかったのだ。臨機応変に行動するのも苦手で、本当に接客業には不向きな自覚があり、苦手なことに耐えながら懸命に働いたけれど、結局話は得意にならなかったし、ストレスをためこんで体調を崩してしまった。

 そうやって苦手なことを続けていると、自己肯定感もどんどん下がっていった。自分は何の役にも立たない人間なんだと認知を歪め、1年くらい鬱寄りになり療養した。

 苦手克服のための努力が一般的に良いのか悪いのかはわからないけれど、自分に関していえば得意なことを伸ばした方が総合的な能力も上がる傾向にあるとここ数年でようやく気づけた。とはいえ、曲を作るにあたって苦手を放置しておくこともできないし、ビーズ刺繍のデザインを考えるときも色だけでなく、形も必要になるので意識せざるを得ない。

 ただ注力する割合を正しく設定する必要がある。まず自分の強みや弱みを正しく理解し、次に強みを活かすためにはどうすればよいか考える。良いパフォーマンスをする以上に、何よりも自分が幸福に生きられるかどうかが人生においては重要で、より自分らしく生きるためには自分の長所を押し殺さないことが大切なんだろう。それは他者にとってもそうかもしれないから、身の回りの人の長所を見つけては伸ばして欲しいと常に願っているし、やろうとしていることを極力否定したくないと強く思っている。そんな気持ちでいられることに私はすでに幸福であって、夢を見ているような心地がしている。変化し続けることを絶望だとは思わない。常が無いことで、私はそれを糧や慰めとして生きていける。

ぎこちないのでボツにしたけど一応載せておく歌詞みたいな何か

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生活だけ考えざるを得なくて

生きることはあまりに遠くて

ああ、向き合わず 月日は流れた


鈍麻してく この目は何も見ていない

感覚はもう すでに衰えて

日々忘れれば悩まずに済んだ


あの日出会った書が何もかもを変え

何かが壊れ

 

ただ生活に執着せずに

新しい世界へと飛び込んだ

すべてをなくし 君に出会った

それだけで許せる心地がする


ただなんとなく何も知らずに

触れていた神話の意味を君が教えてくれる

星空を見て

数えきれない因果を思う夜中

音楽を考えるくらいの距離感で人間について考えていたい

 世の中は時に残酷で、時に優しく淡々と動いている。経過が痛みを伴うこともあれば、時の流れによって癒えるものもあるようだ。私はここ最近認知がはっきりしていない。眠るように日々を過ごしている。「認知がはっきりしていない」とは、子どもが物心のつくまでのあの意識の曖昧さを示しているようなイメージで書いている。「認知がはっきりしていない」状態は子どもの頃だけでなく、10代20代と若ければ、あるいは30代以降でも忘れやすさによって引き起こされる気もする。他の可能性も十二分に考えられるけれど、厳密なことは今は問題ではない。「認知がはっきりしていない」ので、良いことが起こっても、悪いことが起こっても夢のような心地でいる。

 大学生くらいの時までは人との関わりが今よりあったので、たくさんの失態を犯していた記憶がある。今までは病気の状態が悪くて他者への配慮ができていなかったと考えていたけれど、よく考えてみるとそうでないこともありそうだし、大抵のことは「認知がはっきりしていなかった」という理由で済ませられるような気がする。意識がゆらゆらしている状態ならほとんど赤ちゃんみたいなものなので、人を傷つけたり、恥ずかしい行動をとってしまったりするのも頷けるなと思った。過去のことだから他者からすればもうどうでもいいのかもしれないけど、自分のライフストーリーの中では結構重要な出来事らしいのでどうしても意味づけが必要になってくる。

 ここ最近の話に戻る。少しだけ憂鬱になって落ち込んだ時、Animenzさんのアレンジを聴いて音楽に没頭したくなっていた。正直原曲の良さはよくわからなかったんだけど(というか原曲を真面目に聴いていないので想像で書いている)、ピアノアレンジの素晴らしさは見事で、ポピュラー音楽をクラシック的な動きを用いて表現しているのが本当にすごい。ピアノの良さも生きているし、この人のアレンジで良いものを聴くたびに何かはっとさせられている。原曲を聴いたときの感動を素直に言葉やピアノアレンジで表現しているのが本当に良かった。私もそんな経験をしたいと強く願う。

 とはいえ、毎日そんな強い気持ちで音楽に向き合えるわけもなく、今日はPMSによってやる気も集中力も阻害されていたので運動くらいしかできなかった。私の音楽に対する気持ちは良くも悪くもそのぐらいである。(「その程度」とは決して思わないので「その程度」という表現は避ける)決して悲観的ではない。生活に必要なわけではないけれど、日々どこかで音楽に触れている、そのぐらいが丁度良いのだと本当に思っている。

 100分de名著の録画がたまっていることを思い出して、昨日少し観ていた。2月に放送された内容で何とは言わないけれど、あまり興味が持てずにただ流し見ている。流し見するなら見る意味はほとんどないのだけど、観ないと何かに負けた気がしてしまうから観てしまう。多分この感覚がある人は結構いると思っていて、読書も途中でつらくなっても、読みやめずにとりあえず最後まで読んでしまう経験は読書をする人ならままあると思う。あの自分の世界に対する興味のなさ、教養のなさに敗北した気分になるのはなぜなんだろう。誰にでもどうしても興味を持てないことはあるだろうに。

 

 そういえば人に話したことがあるけれど、私は個人に興味はあるけど人間には興味がない。でもそれは多くを捉えきれないから言っているだけにすぎないので、あまりあてにはならないだろうなと思い直した。確かに抽象的な「人間」はしっくりこないままで、それは漠然と「社会」と指すときと同様のとらえどころのなさなんだと思う。本当に人間について考えるのは苦手で、私は音楽を考えるくらいの距離感で人間について考えていたいらしい。だから人間に興味があり、研究している人、考えている人には感心してしまう。そんな人を見ると、私はどうしてこんなに薄情なのだろうと悩んでしまう。「愛の人だね」と言われることがあるけれど、私が真に人を愛することはまだまだ難しい。